卒業式の式歌「蛍の光」は棚倉生まれの稲垣千頴(いながき・ちかい)の作詞です。
河合塾講師、中西光雄氏の「棚倉町歴史講座」2010年11月6日棚倉町文化センター講演で明らかになりました。 稲垣千穎(いながきちかい)は1845年生まれ1913年没で、「蛍の光」の作詞者はです。稲垣千穎は、江戸時代の終わりごろに棚倉藩士の子として棚倉町に生まれました。幼いころから読書や習字を学び、日光の寺院へ留学したこともあります。さらに、藩主(殿様)の川越(埼玉県川越市)への国替えに伴って川越に移り、若くして藩の学校「長善館」の教員となりました。
藩主の推薦により京都で勉学にはげみ、その後、東京の国学塾に入塾、成績優秀により塾頭になり、東京師範学校(その後東京教育大学、現在の筑波大学)の教師となって「師範学校の卒業式のために作った歌が「蛍の光」でである。和歌のオ能に優れていたことから、文部省音楽取調掛に任命された。
その後「螢の光」は卒業式の歌として全国に広まっていきました。